
岩谷麻優とは何者か?女子プロレス界の“希望”
デビューからスターダム旗揚げ戦の中心選手へ
岩谷麻優(いわたに・まゆ)は、1993年2月19日生まれ、山口県出身の女子プロレスラーです。2011年、女子プロレス団体「スターダム」の旗揚げ戦でデビューし、今や“スターダムの顔”とも呼ばれる存在に成長しました。
彼女はプロレス未経験ながらオーディションに合格し、華奢な体つきと素直なキャラクターで、どこか応援したくなる雰囲気を持っていました。同期には早くから評価される選手も多い中、岩谷は決して器用な方ではなく、デビュー直後は苦戦続き。しかし、諦めずに努力を重ね、徐々に頭角を現していきます。
数々の王座を獲得!女子プロレス界のアイコンに
岩谷麻優のキャリアにおいて大きな転機となったのは、「ワールド・オブ・スターダム王座(通称・赤いベルト)」の戴冠です。これはスターダムの最高位に位置づけられる王座であり、彼女はこのベルトを複数回獲得。その強さと華やかさを兼ね備えたスタイルから、「スターダムのアイコン」とまで呼ばれるようになりました。
その他にも、ワンダー・オブ・スターダム王座(白いベルト)、ゴッデス・オブ・スターダム王座(タッグ)、アーティスト・オブ・スターダム王座(6人タッグ)など、あらゆるタイトルを制覇。プロレスラーとしての地位を不動のものとしました。
試練と涙、成長の物語
「泣き虫エース」と呼ばれた時期もある岩谷。試合後に涙を流す姿は、決して弱さではなく、プロレスに対するまっすぐな情熱の表れでした。ケガや仲間との別れ、試合での敗北など、何度も心が折れそうになりながらも、それでも立ち上がる姿は、観客の胸を打ち続けました。
その人間味あふれるファイトスタイルは、単なる勝敗を超えて、物語性を持った“魅せるプロレス”として高く評価されています。今や女子プロレスを語る上で、岩谷麻優の名は欠かせない存在なのです。


“父”ロッシー小川との深い絆とは?
見捨てずに育てたプロレス人生の伴走者
岩谷麻優のプロレス人生において、最も影響を与えた人物の一人が、スターダム創設者のロッシー小川です。女子プロレス界で長年活躍してきたロッシーは、2010年にスターダムを立ち上げ、翌2011年に岩谷をデビューさせました。
岩谷は、スターダムの旗揚げメンバーの中でも、最も目立たない存在だったとも言われます。運動神経やセンスでは他の選手に劣ると見られ、プロレスの厳しさに挫折しかけた時期もありました。
そんな岩谷に対して、ロッシー小川は決して見放すことなく、根気強くチャンスを与え続けました。試合経験を積ませ、海外遠征にも送り出し、少しずつ自信を育てていったのです。その姿は、まさに「プロレス人生の伴走者」とも言えるでしょう。
団体の心を託された存在
スターダムはこれまで幾度も困難に直面してきました。選手の大量退団や、運営の変更など、団体の根幹を揺るがす出来事もありました。その中で常にリングに立ち、スターダムの“顔”として団体を守ってきたのが岩谷麻優です。
ロッシー小川は、岩谷の存在を「団体の心」「魂を宿す存在」と明言し、スターダムという看板を預けられる唯一の選手として厚い信頼を寄せてきました。
岩谷もまた、リング外での振る舞いや若手へのサポートなど、団体を引っ張る責任を果たしてきました。2人の信頼関係は、プロレスという枠を超えた“人と人”の深いつながりに支えられていたのです。
映画で描かれた“父と娘”のような姿
2024年に公開されたドキュメンタリー映画『家出レスラー』では、岩谷麻優とロッシー小川の関係が大きくクローズアップされました。
インタビューでは、ロッシーが「岩谷には夢を託している。スターダムの精神を引き継いでほしい」と語る場面もありました。まるで親子のような絆は、見る人の心を打ち、女子プロレスというジャンルを超えて話題を呼んだのです。
このように、岩谷麻優とロッシー小川の関係は、単なる選手とプロデューサーの関係にとどまらず、「情」と「信頼」によって築かれた深い絆で結ばれています。
そしてマリーゴールドへ――電撃移籍の真相と未来
なぜスターダムを離れたのか?
2025年、女子プロレス界に衝撃が走りました。スターダムの象徴として長年活躍してきた岩谷麻優が、突如としてスターダムを退団。その後、ロッシー小川率いる「マリーゴールド(Marigold)」への電撃入団を発表したのです。
スターダムといえば岩谷麻優――。そう思っていたファンにとって、この決断はまさに「時代の転換点」でした。では、なぜ彼女は長年守り続けたホームを離れたのでしょうか。
その理由について岩谷はインタビューで、「新たな挑戦がしたい。もう一度、自分の原点に戻りたかった」と語っています。そして、その“原点”こそが、ロッシー小川だったのです。
“ロッシーの下でまた戦いたい”という選択
マリーゴールドは、スターダムの創設者であるロッシー小川が2024年に立ち上げた新団体。かつて自分を見出し、育ててくれた“恩人”が新しい舞台に立つと知った岩谷は、その背中を追うように団体を移籍しました。
これは単なるキャリアの選択ではなく、信頼と敬意に基づいた決断。岩谷にとって、ロッシーの存在は、プロレス人生における「拠り所」であり、もう一度その人のもとでリングに立つことは、彼女の中で強い意味を持っていたのです。
「スターダムではすべてやりつくした。マリーゴールドでも全てのベルトを取りたい」
― 岩谷麻優(移籍発表コメントより)
岩谷麻優の第二章の始まりとなる言葉でした。
マリーゴールドで再び始まる“新章”
マリーゴールドという新しい団体で、岩谷麻優は再び「挑戦者」としての道を歩み始めました。かつての“スターダムのエース”が、今度は“マリーゴールドの礎”として、女子プロレス界に新たな風を吹き込もうとしているのです。
この選択は、彼女のキャリアにとって決して後退ではなく、むしろ新しい伝説の始まりと言えるでしょう。そしてそこには、あの日から変わらぬ「父と娘のような信頼関係」が確かに息づいています。

